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Wellen de Kooning展

この平成26年10月7日から平成27年1月12日まで、ブリッジストン美術館でWellen de Kooning展を開催しています。
日本では馴染みの少ないアーティストですが、それでも、入場者の数が大変多いそうですから、やはり偉大なアーティストは、ファンがどこにでもいるのでしょう。

1960年代後半、70年代におきましては、今ポップアートが注目を集めている様に、アブストラクト インプレッショニストが、最大の脚光を浴びている時代でした。
その中で、de Kooningは、現代美術市場最高値で取引されたと報道されるほどの人気の芸術家でした。海外では、個展が多く開かれ、その芸術的偉大さにおいては、歴史に残る作家です。
ブリッジストン美術館が、流行を追うより、芸術性を尊ばれ、この偉大な作家の作品を日本で紹介されるべく、この展覧会を企画されたことに敬意を表する次第です。

今は亡き人ですが、de Kooningとは、個人的に親しくしておりました。
年に何回かは、de Kooningのスタジオを訪れては、大きな室内のここかしこに、たくさん積み重ねてある作品の中から、好きなものを選んで、ゆずってもらうのが常でした。
展示作品の中にJohnと小さくメモのように書いてあるがありますが、それは、ある日スタジオでその作品を選びましたら、これはまだ完成していないので、次回、来るまでに完成しておくので、忘れないように書いておくと言って、Johnと印しをしました。
Kimikoとサインされてあるものは、私が選んだのですが、de Kooningは、いい作品を選んだと言いながら、Loveと書いて、サインしてくれました。
アーティストとの思い出は、作品を見る度に、懐かしく、作品鑑賞より「重み」が増す様です。
この展覧会で展示されている作品の内、私のコロラドの家にかざられている作品が多数あります。毎日見ていました作品も、美術館で展示されると、とてもひきたちます。
de Kooningは、将来長く、現代美術史上に名を残すアーティストと、再確信しながら、この展覧会を楽しく見ました。

癒し

皆さんも“癒し”と言う言葉をよく耳にされるでしょう。
実は鈍感な私は”癒し“とはどういうことかしら程度の認識でした。必要と感じもしなかったのでしょう。

8年前でしたが、私は軽い気持ちでワンちゃんを見にぺットショップに行きました。
まだ生まれて四か月のヨークシャテリアが店頭でピョンピョンと跳ねて、お尻尾を振っています。その可愛いこと!!
勿論、買って帰ってしまいました。それが初めで、一日中、1人(一匹?)でお留守番は可愛そうだと、もう一匹加えました。全然血のつながりのない2匹の雌がそろい、マンション中を走り回ることになりました。
不思議なことに成犬になりましたら、2匹ともちょうど同じサイズの2キロです。

今、私は海外旅行も、近くの温泉にもあまり行かず、ワンちゃんのお守をしています。
家に帰ってくると、これ以上の喜びはない位の喜びようで迎えてくれます。
心がほっとして、これは”癒される“ということなのかと、毎回思っています。

この2匹のペットの性格から、私は学ぶことが多いとも思っています。
ご機嫌の悪い日などありません。むくれたり、怒ったりしません。例え嫌なことをしても、決して避けたりしないで、すぐ寄ってきて嬉しそうです。
感情はとてもストレートで表現力も豊富にあります。人間も、きっとこんな素直な、善人になれたらいいのでしょう。

生まれが違うからでしょうか、性格の違いが大きいです。
神経質で女の子らしい8歳とマイウエイでのんびり型の7歳です。
犬でさえこの性格の違いですから、人間が百人百様なのもよく判ります。
私は、自分が正しいと思うと、他人もそう思うと信じてしまいます。他人の想いを尊重することも学びました。

年寄りには、よき友として、ボケ防止の一つのとして、ペットとの生活がいいと言われていますが、本当にそうだと日々思っています。

15分の連続

ポップアートの旗手、アンディ・ウオーホルをご存じの方は多いと思います。

現在、六本木ヒルズの森美術館で、ピッツバーグにあります「Warhol美術館」所蔵の作品展を開催中です。
昨年の秋には、六本木の国立新美術館で、我がパワーズコレクションの、ポップアート展をTBS、読売新聞社、国立新美術館主催で開催させていただきました。
プリポップのジャスパージョーンズを始め、リキテンスタイン等、10人程の有名アーティストの作品をコロラドから運び展示しましたが、アンディの作品が展示されていたエリアは、いつも一杯の人で人気がありました。

彼の名言に、"In the future everybody will be world famous for fifteen minutes." という言葉があります。
人類の長い歴史を考えた時、1人の人間の生きている時間の短さを思うと同時に、今日の世界の動きの速さをもこれで表現していたと思われます。

以降、この名言に対して、多数の解釈が報じられています。
「ウオーホルが有名でない時代、15分でいいから有名になりたいと願った」、「15分で有名になれる現代美術界から、世界を変えることができる」、「美術家は、15分間有名になるだけである」、「15分だけ有名になるのなら、より多数の人が有名になるチャンスがある」等々、意味がいささか不明なものまである様です。

ある日、私はアンディに訊いてみました。
「あの言葉は物議を醸していますが、本当はどんな意図があったのですか?」と。
彼は「皆さんの色々な解釈や深読みは大変面白いと思います。貴女も好きに解釈して結構ですよ。それが貴女にとっての真実でしょう」と、皮肉っぽく笑って言っていたのを、懐かしく思い出しています。

15分という時間は短いようですが、貴重な時間です。
この15分の連続が、人生であり歴史であり、今のこのいとしい時間とつながりましょう。

ポップアート

ポップアートが生まれて半世紀が経過しました。
美術に親しんできた人々の中には、ポップアートは芸術ではないと言う人がよくいます。

宗教の意味を説く芸術、自然の美を描く芸術、装飾的な芸術などとは、題材、表現方法からして見たところ非常に異なっていて、馴染めないからでしょう。
ポップアートの一番の特徴は、「身近なもの」を題材にしていることです。
スーパーに並ぶスープの缶詰めでも芸術にしました。 
芸術が持っている一面には、それぞれの時代の象徴的なものが何であるかを見る人に訴えているということがあると思います。
例えばキリスト教がその時代に大きな意味があれば、キリストの絵が多く描かれました。

ピカソが偉大な芸術家である理由は、それ以前の絵画のコンセプトを大きく変えたことにあると思えます。
ポップアートも同様の流れの延長にあり、歴史的に見ても決して取り上げられなかった題材をあえて芸術にしてしまいました。
あらゆる物事は角度を変えて見れば、考え方を変えれば、規定概念を覆し、もっと他にも数々の見方があるということを人々に伝えているのだと思います。

もう一つの特徴は、ポップアートは、作品を見る人の見かた次第で、いろいろな解釈ができると言うことがあると思います。
俗っぽく言えば、スープ缶の絵はそれぞれのスープの味がします。見る人の好きなスープも選べましょう。
キャンベルスープを並べたら、デザイン的に綺麗になりました。
色あい、プロポーション、ちょっとの違いがある各々のスープ缶の描き方等々、見る人のイマジネーションで、違う意味が導き出せます。

六本木の国立新美術館でポップアート展が開催されています。
アメリカの一時代の文化を生んだ作家たちの作品が展示されています。ご覧になって下さい。

<アメリカン・ポップ・アート展>
期間:2013.8.7(水)~10.21(月)
公式ホームページ http://www.tbs.co.jp/american-pop-art2013/

アメリカン・ポップ・アート展

アンディ・ウォーホルの名前は、ほとんどの方がご存じのことでしょう。
ウォーホルが、キャンベルスープの缶を題材に作品をつくったのはあまりにも有名だと思います。
ウォーホルは、スロバキヤからアメリカに移民してきた両親の子でした。
そして、その極めてユニークな発想を基に、現代美術家として世界の頂点にたちました。
美術界におけるアメリカンドリームを実現した代表的人物とも言えましょう。

1960年代から、名が出始め活躍したアメリカが誇る現代美術家の中には、ロイ・リキテンスタイン、クラウス・オールデンバーグ、ジム・ローゼンクエスト、トム・ウエッセルマン等がいます。
このアートは、今日では“ポップ・アート”と呼ばれ、美術史の一時代を築き、社会・文化に幅広く影響を与えた芸術活動です。
59歳と若くして死んだウォーホルはその第一人者といっても過言ではないと思います。
私がアメリカに渡ったのは1963年ですから、まさにウォーホルが有名になりかけた時代です。

その時代、ニューヨークには無数の芸術家が活動をしていましたが、今日その名を遺した人達はそうたくさんはいません。
現在では高名となった作家達の作品を、当時無名に近い時代に収集したコレクションを私の財団法人が所有しております。

そのコレクションの内のポップ・アート300点ほどを2013年8月7日から10月21日まで、国立新美術館で開催される「アメリカン・ポップ・アート展」に公開します。
第2次世界大戦後、アメリカが飛躍的に栄えた50年前、大量生産、大量消費時代当時の既成概念を打ち壊した芸術活動が始まりました。
芸術の枠を解放した、その若き作家たちの作品をご覧になって下さいませ。

<アメリカン・ポップ・アート展 公式ホームページ>
http://www.tbs.co.jp/american-pop-art2013/

クリスマス

クリスマスは、日本でも一大イベントになっています。
クリスマスの本当の意味を知っている人は、どれほどいるのでしょうか?
キリスト教に関連していることくらいまでは、大半の人が判っていることと思います。
キリスト教徒にとって、わけもわからず祝っているのでは、あるいは楽しいイベントとして利用しているのは、苦々しいことかも知れません。

実際、我々は日常的には、キリスト教より仏教を身近に感じることが多いでしょう。
でも、お釈迦様のお誕生日を皆で祝うということは、あまり一般的ではありません。 クリスマスの様に派手にお祭り化するわけでもありません。

結婚式はキリスト教あるいは神道、お葬式は仏教、地鎮祭やお祓い、七五三は神社、初詣は神社でもお寺でもありで、冠婚葬祭はその目的としきたりから、都合の良いイベント化した儀式となっているように思われます。
また、商業的イベントのクリスマスセールやバレンタインディなど、宗教は表面的に利用され、名目だけになっているように見受けられます。

とかく我が国は、商戦やメディアに振り回されている感があります。
昨今の日本の政治も経済も、思想や根源のない目先の利便でころころ変わる印象があります。
日本の歴史や国民性を生んだ風土が、今日の日本社会を形作っているのでしょうけれど、その場しのぎの対症療法や、神頼みでは、世界水準の健康的な国にはなれないと思います。 根源的な部分をしっかり形作っていかなければ、日本の将来はあやういと思います。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が世界に布教され、宗教人口も多い。
それらの宗教は兄弟的な歴史を持ち、生まれたのもみな中東であるのも意味深いです。
そもそも、宗教と言うものは、規範を学び、真の幸せを追求するものではないでしょうか。

保育

パワーズグループには、保育園が3園、学童、分園を合わせますと計6施設あります。

可愛い子供達が合わせて400人、そこに働く保育士さん達も100人以上います。
保育士さんの内、半数以上が独身の若い女性です。
自ら子供を育てた経験はありませんが、大学で保育学を学びました。
学問と実践にはギャップが生まれますから、働きながら一生懸命研鑽し、よりよい保育をしたいと頑張ります。

今年の9月22日の祭日、保育園もお休みでしたから3園全体で集まり、研修と相互の親睦を図る会を持つことができました。

当日の研修会において、今井和子先生から感動的な教えを受けました。
0歳~1歳の子供達は、スキンシップと目と言葉の話し掛けから「愛着」“Attachment”を探します。
こんな小さいときにすでに人間としての自覚があるのです。
1歳~2歳になり、言葉も行動も範囲を広げてゆくわけですが、まだ言葉の足りない子共達にも何をしたいのかという意思は生まれます。
大人がそれを読んでやれないのでは、子供達との人間的関わりが出来ないことになります。
お漏らしをする子は、自分のお人形のお尻を洗ってやったりしますが、これを単にお人形を濡らしたと解釈してはなりません。
子供達の成長過程においても常に人との関わりが一番大事なようです。

私達は、大人になってからもお互いが解り合える、気持が通じあえる人間関係が一番大事なのではないかと、今井先生のお話を聴きながら思った次第です。

古美術展覧会

テキサス州ヒューストンは、宇宙基地として皆様に知られている都市でしょう。
その経済基盤は石油で、数は少なくても富豪が住んでいます。
ですからヒューストンには、アメリカでも10指に入る大きな美術館が存在します。
南部に位置する故でしょうか、人種偏見が強く、今までは東洋美術の人気はもう一つ低いものでした。
それではいけないと、近頃は韓国の美術館から韓国の古美術を借りたり、日本の東京国立博物館から作品を借りて展覧会を開催しています。

私の日本の古美術も貸してほしいと依頼があり、6月8日からコレクションの展覧会を開きました。
自分のコレクションを貸して、のこのことオープニングに行くのは、即ち“Thank you”と言われたいと行く様なものですから、躊躇しましたが、美術館からのたってのリクエストで、遠路、出席致しました。

展示されました部屋は大型体育館のサイズのものでした。
不思議なことに、日本美術はその雰囲気では全然気分が出ず、しっとりとした美しさはどこかに消えてしまいました。
でも、美術的真価は、却って強調されたかに思えました。
美術館からは、とても好評ですとメールを頂戴しますが、ちょっと信じがたいところもあります。
ともかく美しい日本の美術品が、皆さんの目に触れる機会があるのは良いことでしょう。
特に子供達に観てもらいたいと願っています。

国力

民主主義が国民の幸せを最優先に掲げているとしたら、現状の民主主義は「国力」を弱める可能性があるのではないかと疑問を持ちました。
ギリシャの状態を聞くにつれ、この感じは強められます。

一方、独裁的リーダーが司る国の力の強さが、国民に多くの幸せを与える可能性があることを考えされられたのが、今回、私が中国三峡ダムを訪れた時でした。

一昔前、中国では国民の不満足は食物が不足していたことと聞いています。
今はどこに行っても田舎の町でさえ活力が満ちている感じがしました。

20世紀初めの頃から中国は国としての方針に一本の筋がしっかりと通っていて、発展を一途の目的にしていたのでしょう。

欧米や日本の技術者を招いてダムや橋の建築技術を習得し、今までに3つの大規模なダムを建築しました。
これからも11個のダムを建築する具体的な予定があるそうです。

原子力発電も視野にいれていると読みました。アジア地域の電力が、将来その大半を中国に依存する可能性を垣間見て、日本の政権争いに明けくれている政治家にがっかりしたのは私だけでしょうか?

Powers Art Center

コロラド州にアスペンという高名なスキーリゾートがあります。夏は避暑地としても有名で、ロッキー山脈の真ん中の海抜2,400メートル以上ある小さな町です。ご存じの方も多いと思われます。

そこから約30分程度、山を下ったところに私の牧場があります。日本とは土地のスケール感が全然違うので比較はできませんが、土地の広さはゴルフ場が2つできるくらいあります。近頃は牧場より自然保全とか文化的活動に皆さんの目が行きます。そんな傾向も受けて、私はこの牧場に現代画の美術館をつくり一般公開しています。

美術館というにはスケールが小さく、展示スペースは約500坪程度ですが、アメリカを代表する1960年代の作家、ジャスパー・ジョーンズの作品を展示しています。美術史上、1960年代がアメリカが美術の最高峰を誇り、現代画のジャンルで世界に誇る作品を残した時代でした。その中で、ジャスパー・ジョーンズは多くの人がナンバー1と認めると言っても過言ではありません。

アメリカでも田舎に行くと、美術品に出会う機会がとても少なくなります。学校行政も予算がないと、美術の先生をカットします。私は、子供がお絵書きの時間や一流作家の作品にふれるのが非常に大切だと信じています。

この小さな美術館では、子供たちの情操教育にいくらかでもプラスにならないかとの望みを抱いています。一階の展示場では、地域の子供の作品展をやり、それを見に来る子供たちが2階の作品もみて、高名な画家の作品に馴染んでほしいと思います。40余年間、私に豊かで幸せな生活を過ごさせてくれたアメリカに、ほんの少しでいいから何かしたい気持ちを表せたらいいとの願いを込めているところです。

Powers Art Center
http://powersartcenter.org/